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2011年3月11日という日 [ひとりごと]

暖かな日差しが事務所の大きな窓から差し込んでいた。

少し遅めの昼食をとったためか、頭はボーとして思考力はまったくない状態。
そんな何気ない週末金曜日の昼下がりだった。

最初は小刻みな振動を感じた。
地震かな?という程度に。


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次第に揺れは大きくなり、立っていられなくなった。
デスクの書類が床に落ち、パソコンも押さえておかなければ落ちてしまうほど揺れは大きくなった。

コピー機が床を走り出し、食器棚からカップなどが落ちる音が響く。
同時に、女性社員の悲鳴。

いろいろな音の中で恐ろしさを感じたのは、建物自体が異様なきしみ音だ。
窓の外を見ると、隣のビルも大きく左右に振れているのが見えた。折れてしまいそうな感じがした。

事務所はビルの20階にあり、ちょっとした地震でも船が揺れるがごとく大きく振らぐのだが、今回の揺れは嵐の中を航行する船のようだった。。

揺れが収まり、情報の確認をする。。
テレビのスイッチを入れる。宮城県沖で震度7強・・・[がく~(落胆した顔)]



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窓の外を見た。火災が発生しているビルも確認した。


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あらためて社内を見渡す。備品などが散乱した状態と、呆然とする社員・・・


館内放送が入り、それに従ったかたちで非難を開始した。
エレベーターは使えない。20階から階段を使って地上へと降りるのだ。
この間にも次の大きな揺れがきたらとか、アメリカでの9.11テロのことが脳裏に浮かんでは消える。

非難している間も、さまざまな情報が入ってきた。
東日本沿岸を襲った“大津波”の情報だった・・・
この段階ではそれほど気に留めることはできなかったが、後になり背筋が凍りつく思いをするのだ。


2時間ほど時間が経ち、帰宅許可は出たものの電車が動かず帰ることはできなかった。
歩いて帰るしか方法はないが、家族の安否の確認ができたため、この方法は取らなかった。
昼食や夕食にいつもお世話になっているレストランに行き、そこで待機し翌朝に動き出した電車にのって帰った。

レストランでは店を閉め、従業員と数名の人間でテレビから流れ出てくる情報を見ていた。
ここであらためて、この地震の規模と被害状況の凄まじさ、悲惨さを目にしたのだった。

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電車は圧倒的に本数が少なく、乗ることができない乗客も多くいた。
この時点では、おそらく1時間に1本程度だっただろう。動いても徐行運転だった。
まぁ、歩いて帰るよりはるかに早いのだが。


通常1時間半の通勤時間が2倍以上の4時間かかったが、無事に帰宅できた。
家の中は思ったより被害がない・・・というより、被害はなかった。
家にもどってからもテレビからの、さらに悪化している東北地方の惨状をただ呆然と見続けていた。


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家の食料が少ないということで、買い物に出かけた。
地震発生の翌日、3月12日午後の段階で最寄のスーパーでは食料がなくなっている。
最初は不思議に感じたが、この状況が“買占め”の始まりだとすぐに気づいた。
ガスボンベ、パン、米など、普段品切れになっていることが見たことのないものがなくなっているのだ。

不思議に感じたのは、ライフラインはほぼ正常に機能しているのに、なぜガスボンベがなくなるのか・・・
東京や、その周辺エリアはそれほど大きな被害が出てないのに、なぜ米やパンがなくなるのか・・・
しばらく混乱するけど、流通路は確保されているのだから大丈夫のはずなのに・・・

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これは恐怖心の現れなのだろう。連鎖的に発生している地震が、もっと南まで影響し再び大きな地震が発生するのではないかという恐怖心なのだと思う。
仕方がないと思いながらも、普段の生活をするのに必要なものが買えないことは、普段の生活をするのに必要以上に買われている人間に対して怒りに変わる。
そういった怒りを、被災地や被災者の立場を考えて何とか押し殺す・・・なんとか・・・なんとか、なんとか・・・

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幸い我が家はキャンプによく出かけるために、ガスボンベや灯油は少量ながら持ち合わせている。
これも被災地や被災者の立場から見れば恵まれているのだと思う。

とりあえず我が家は、店の陳列棚に残っていたパスタを1つとマコロニを2袋、ミートソース缶を3缶を手にした。
しかし米が・・・

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地震での影響は物資不足のほか、電力不足という形にも現れた。
これは、震災した福島の原発の影響が大きい。
電力不足の影響は、関東エリアを5グループに分け、順次停電させて電力消費の抑制をかける「計画停電」というシステムになった。
これが急きょ決定したことで、都心部は大混乱になり、さらに物資不足に拍車をかけたことになる。

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あまり政治的なことはblogで書きたくはないけど、どうも政府や東電から発信される情報の遅さと不確実性に信頼性が失われているように感じる。



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物資不足になっていることを友人に話しをしたところ、早々に送っていただいた。
中には米だけではなく、お菓子やラーメンも入っている。
そして心温まるメッセージまで入っていた。[わーい(嬉しい顔)]

とてもありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。


地震も怖い。行く場所がない、帰る場所がない。
放射能も怖い。逃げる場所がない、情報がない。
暗がりも怖い。明かりがない。
食料不足も怖い。食べるものがない。
燃料不足も怖い。動けない。
寒さも怖い。着るものがない、暖まるものがない。
怪我や病気も怖い。薬なない、病院がない。
家族がいないもの怖い・・・・

この中の恐怖を自分に当てはめて考えてみる。
どの恐怖心からも逃れるすべを自分は持っている。

だから、多少の不便は愚痴を言わずに我慢しようと思う。
ありきたりの言葉だけど、被災地を考えれば・・・ということだ。


タグ:雑記
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Funyamaru

職場は相当激しく揺れたんですね‥棚が倒れるとは(>_<)
ボクも当日は帰宅出来ませんでした。
計画停電やら買い占めやら、こっちでもいろいろ有りますが、被災地の方々に比べれば‥ですよね。ガンバりましょう!
by Funyamaru (2011-03-20 07:32) 

ヒデぽん

Funyamaruさん!
職場は大揺れでした。
やはり当日は帰宅できませんでしたか。
仕事はこの1週間は混乱の調整に追われました。
家庭では停電や物資不足で・・・少々不便でした。
おっしゃるとおり、この不便もある意味、被災地に対しての応援ですよね!!
by ヒデぽん (2011-03-20 09:14) 

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